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世界から猫が消えたならが合わなかったこと

昨日、「世界から猫が消えたなら」という映画を観たのですか、これがまあどうにも合わなくて、

“僕は何故この映画を好きじゃないんだろう”と考えてると自分の好みが見えてきて面白かったので少し書いてみます。

 

先に言っておくと映画及び原作をディスる意図は一切なく好みの差でしかないものを好みの差だと書くことに意味を感じて書いていること、

またネタバレの配慮は一切せず全開で書いてますのでその辺りはご理解下さい。

 

 

合わなかった点その1 : ルールが不明瞭

 

これが例えば「世にも奇妙な物語」だったら僕も素直に楽しめたと思うんですよ。

ただ、映画として考えるとなにか消えた時に影響の及ぶ範囲が作者の自由すぎて「よく分からん!」ってなるんですよね。共感するのが難しい。

 

作中ではまず最初に電話が消えますが、電話が消えることで現在だけではなく過去も改変されるのであれば、

そもそも電話がなければ文明が今の社会の形に発達したはずがないので、社会の仕組みもなにもかも、もっともっと変わったはずなんですよね。

そこでまずついていけなくなった。

 

“なにかが消えることで、それに付随して大事な人との関係も失ってしまう”というアイデアはとても面白いと思うのですが、

如何せんそれが電話では「そりゃ失う関係はいっぱいあるだろうよ…」と思ってしまう。話が当たり前すぎて共感が生まれないんですよ。

 

 

合わなかった点その2 : 当たり前すぎて共感できない

 

さっきも言いましたが、消えるものが重要すぎて「そりゃなくなったら困るよな…」という感情しか生まれないんですよね。

 

例えば最初に消えるものが、主人公が言った通りパセリだったら結構面白かったと思うんですよ。

「パセリぐらいなくたって困らないよ」と思ってたのに、それが巡り巡って昔の恋人とも出会わなかったことになってしまう。

それはとても意外だし、意外である故に共感が生まれる。心に残ると言い換えてもいい。

 

あとは、ラストもそうですよね。

“どんなものでもなくなるとそれまでの世界とは変わってしまう。だから僕もいなくなるとそれまでとは世界が変わるはずだ”という結論は当たり前すぎるんですよ。捻りがなさすぎて心に残らない。

同じ物語から逆の結論(自分が死んでも世界は変わらない、でもそれでもいいんだ的な)も導けた筈だし、そちらの方が僕としてはずっと心に残ったと思う。

 

電話とか映画とか時計のようになかったら色々困ることが容易に想像できるものが消えて、

「失って初めて大切さが分かった」と言われても“いやいやいや…”ってなっちゃうんですよね。

 

それこそパセリだったら、この辺りも上手く効いたかもしれない。失って初めてパセリの大事さが分かったと言われたら「そうかも…」ってなる気がする。

 

 

合わなかった点その3 : 世界に入り込む隙がない

 

さっきからずっと“当たり前すぎて共感できない”って言ってるんですけど、そもそも作品世界そのものが作者の好みが強すぎて入り込めないんですよね。

自らが働く映画館の上に住む昔の恋人、自分好みの映画を貸してくれる友人、出てくる映画のラインナップも『いかにも』なものばかりで、

“ボクのセンスを見て!”っていう独りよがり感があるというか、観ている人が作品世界に入り込む余地を与えないんですよね(お前はお断りだって話かもしれない)。

 

また、恋人も、友人も、家族でさえ『主人公との関わり』としてしか作品世界の中で生存を許されてない点も気になった。主人公になにかを与えてくれるだけの存在。彼らが生きているという感触がない。自分にとって都合のよい世界に住む都合のよい人たち。

死を目前にした主人公が自分のことしか考えられなくなるのは当然としても、そのことを指摘するような人が出てこないので物語が歪んだまま進んでしまって、どうにも違和感が残ってしまう。

 

尤も、この辺りはセカイ系の特徴でもあるし、それがいいんだ!って物語も沢山あるので、

僕が出だしで躓いたせいで難癖をつけてるところはある。

 

 

以上、長々と書いてみました。好きな人いらっしゃったらごめんなさい。テーマとしては好きだし、佐藤健も宮﨑あおいは勿論、なんといっても濱田岳がとても良かった。音楽も映像も良かったし、好きな人はとても好きだろうと思います。ただ僕には合わなかったという話です。